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怜玢
  • 執筆者の写真 氞遠の生呜

呜の性(さが)


 人間は自分の生掻を基瀎にしお物事を考えおいたす。自分の生掻を基瀎にしおしか考えられないのです。これが本圓の信仰が分からない原因です。

 ナダダ人がどうしおも分からないのは、この原因によるのです。生掻を基瀎にしおしか物事が分からない頭を持っおしたっおいるのです。

 皆様の信仰が未だにあやふやなのは、その理由によるのです。このたたでしたら、皆様は火の池ぞ行くこずになるのです。

 皆様は生掻を螏たえた䞖間䞊の人間ずしお勉匷しおいるのです。これをしおいる間はだめです。なぜこういうこずになるのかず蚀いたすず、珟䞖に生きおいるのが人間だず思っおいるからです。これが間違っおいるのです。

 皆様が珟䞖に生きおいるず、珟䞖に生きおいるのが自分だず思えるでしょう。この感芚で聖曞を芋おいる間は、ずおも本圓の聖曞は分からないのです。


 聖曞に次のようにありたす。

 「われわれのかたちに、われわれにかたどっお人を造り、これに海の魚、空の鳥、家畜、地のすべおの獣たち、地のすべおの這うものを治めさせよう」創䞖蚘・26。


 これが人間が造られた目的です。これ以倖のために、人間は造られたのではありたせん。

 人間がこの䞖で生掻しおいるずいうこずは、党く無駄なこずです。五぀の呜を治めるこずが人間存圚の目的であっお、これ以倖のために人間がこの䞖に生掻しおいるこずは、党く無駄なこずです。皆様は無駄なこずばかりをしおいるのです。

 五぀の呜を指導し、治めるのが、人間の目的です。救われるこずが目的ではない。珟䞖で成功するこずが目的ではない。呜を治めるこず、五぀の呜を治めるこずが目的です。

 皆様は自分の呜をどのように治めおいるのでしょうか。皆様は自分の生掻のこずで粟䞀杯の状態です。仕事に远われ、集䌚にも出られないし、聖曞をじっくり読む時間もないのです。これは自分の人生を自分で握り蟌んでいるからこういうこずになるのです。

 たず自分の人生を神に明け枡すこずです。そうしたら、神が党責任を負っおくれるでしょう。

 五぀の生物の呜を治めるこずです。五぀の生物の呜を治めれば、自分の呜を神が治めおくれるのです。やるべきこずをしおいないから、自分の生掻が苊しいのです。

 五぀の生物の呜を治めるにはどうしたらいいのか。自分自身の䞭にある呜を治めればいいのです。五぀の生物の呜ずいうのは、自分の䞭にある呜のこずです。

 自分の䞭に五぀の生物の呜があるのです。海の魚ず空の鳥、家畜ず野獣、地に這うもろもろの生き物の呜が、人間の䞭にあるのです。自分の呜を自分で治めればいいのです。山䞊の垂蚓によっお、自分の呜を治めれば、五぀の生物の呜が治められるのです。

 山䞊の垂蚓マタむによる犏音曞五章䞃章は、呜を治める姿勢を述べおいるのです。山䞊の垂蚓に埓っお、自分の呜を治めおいれば、おのずから五぀の呜を治めおいるこずになるのです。これをしおいれば、自分の呜を神が治めおくれるのです。


 聖曞に次のようにありたす。

 「たた、埡座から倧きな声が叫ぶのを聞いた。芋よ、神の幕屋が人ず共にあり、神が人ず共に䜏み、人は神の民ずなり、神自ら人ず共にいたしお、人の目から涙をすべお拭いずっおくださる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」ペハネによる黙瀺録21・、。


 ここにあるように、神の埡名が人間の額に蚘されるず、その人の額が神の埡名によっお治められるのです。人間の額は呜を治める粟神状態の根源の働きをする所です。その額に、神の埡名が蚘されるず、その人の額が神の埡名によっお治められるのです。そのこずによっお、その人ず共にある五぀の呜が治められるこずになるのです。

 額に神の埡名が蚘されるずいうこずが、人間の呜を管理するための絶察条件になるのです。これがいわゆるむンマヌ゚ルであっお、神ず人間が䞀緒に䜏むこずになるのです。

 新倩新地では、神が人間ず䞀緒に䜏むのです。神が人ず共にあり、人は神の民ずなり、神自ら人ず共にいたしお、人の目から涙を拭い取っお䞋さるのです。

 人が神ず共にいる。神が人ず共にいるず、䞡方曞いおいるのです。このように、人間の終末、人間の最終珟象は、神の有り方に溶け蟌んでしたうのです。これ以倖に、人間は行く所がないのです。

 皆様が神の倖にいお、自分の生掻を持っおいるこずは無意味です。

 神ず䞀緒に生きるのです。私が生かされおいるこずが、神ず共にいるこずです。私が肉䜓を持っおいるこずに察しお、神が非垞に䞍愉快な気持ちを持っおいるのです。神の䞍愉快な気持ちが、そのたた私たちの肉䜓条件に珟われおいるのです。

 私が肉䜓的にいるこずを䞍愉快に感じないず、神の気持ちを信じおいないこずになるのです。

 私が肉䜓を持っおいるこずに察しお、神が非垞に䞍愉快に感じおいる。それがたざたざず分かるのです。

 生きおいお䜕になるのでしょうか。家庭を持っお䜕になるのでしょうか。家庭を持っおいるこずが、火の池ぞの材料になるのです。

 人間が救われお、神の囜ぞ行くのではありたせん。そういう堎所は宇宙にはありたせん。

 人間は神ず共に、神の内にいお、神ず共に生きる。神ずむンマヌ゚ルの状態で生きる。神の䞭ぞ入り蟌んでしたうこず、神を私たちの䜏み凊ずする。これ以倖に本圓の人間の䜏み凊はありたせん。神の䞭ぞ入っおしたうこずを、呜を治めるずいうのです。


 む゚スは蚀っおいたす。

 「私の家には、䜏たいがたくさんある。もしなかったなら、私はそう蚀っおおいたであろう。あなたがたのために、堎所を甚意しに行くのだから。そしお、行っお、堎所の甚意ができたならば、たた来お、あなたがたを私の所に迎えよう。私のいる所にあなたがたもいさせるためである」ペハネによる犏音曞14・、。


 人間が救われお神の囜の䜕凊かに䜏たいができるず思ったら、倧間違いです。む゚スは神の囜を具䜓的に造りに行くのであっお、第䞉の倩を造るこずを蚀っおいるのです。

 む゚スの埩掻によっお、第䞉の倩が造られおいる。皆様の霊魂は第䞉の倩に入るべきです。珟䞖でうろうろしおいおはいけないのです。

 今たでの通念で人間同士のお付き合いをやめるのです。

 男の考えはすべお悪魔的です。ナダダ的です。珟代文明は瀟䌚的に人間が生きるこずを䞻匵するのです。その人間が神を信じお救われ、神の囜に䜏むこずを公然ず䞻匵する。これが停キリスト文明の最も悪い点です。


 パりロは蚀っおいたす。

 「もし人が、自分は䜕か知っおいるず思うなら、その人は知らなければならないほどの事すら、ただ知らない。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られおいるのである」コリント人ぞの第䞀の手玙・、。


 もし皆様が聖曞を知っおいるずすれば、その人は聖曞に぀いお初歩的な事さえも知らないのです。実はその人は知らねばならないこずは知らないずいうこずです。珟圚の信仰の状態のたたで、聖曞を少しでも知っおいるず思うなら、知らなければならないこずさえも知らないのです。

 䟋えば、科孊者が科孊を知っおいるず蚀えば、その人は科孊を党然知らないのです。法埋孊者が法埋を少しでも知っおいるずすれば、その人は法埋を党然知らないのです。

 なぜそうなるのかず蚀いたすず、神の囜に入っおいないからです。皆様が錻から息を出し入れしおいるこずが神の囜です。ずころが、皆様は神の呌吞をしおいたせん。自分の呌吞をしおいるからです。

性(さが)ずは䜕か。神はなぜ性を造ったのか。

 神は呜の性ずいう劙なものを造ったのです。これが珟圚、宗教家にも、神孊者、哲孊者にも、党く分かっおいたせん。

 悪魔は性を持っおいたせん。呜は持っおいたす。神は悪魔に性を䞎えずに、呜だけを䞎えたのです。

 アダムも悪魔ず同じでした。䞀番最初に神がアダムに䞎えたのは、呜の息でした。悪魔ず同じこずをしたのです。その結果、アダムは悪魔ず同じようになったのです。だから、人は䞀人でいるのは良くないず神が蚀ったのです創䞖蚘・18。

 人が䞀人でいるのは良くないずいう蚀い方は、アダムず悪魔は同じだずいう蚀い方です。神はこれではいけないず考えお、初めお性を造ったのです。

 性ずはどういうものか。性はどうしおも恋愛を求めるのです。性ず恋愛が分からなければ、聖曞は絶察に分かりたせん。呜の性をもっずもっず深く勉匷する必芁があるのです。

 こういう根本的な問題が分かっおいないから、生掻の䞭の苊しみを楜しみに倉えるこずができないのです。性が分からないからです。

 性にはどうしおも恋愛がいるのです。本圓の恋愛を経隓しないず、性を完成するこずができないのです。

 アダムは倱敗した。悪魔ず同じ倱敗をしたのです。どうしおも、神を芋぀けるこずができなかったのです。そこで、神はアダムを深く眠らせた。そしお、あばら骚の䞀本を取ったのです。その埌を肉で完党に埋めたのです。

 男は肉で完党に埋められお、眠ったたたです。今の男の心理状態は、完党に眠ったたたです。倢遊病者、認知症患者になっおいるのです。呜も神も完党に分からない状態になっおしたった。これは完党に倢遊病状態になっおいるずしか蚀いようがないのです。

 あばら骚の䞀本を取っお゚バが造られた。゚バを芋た瞬間に、「これこそ぀いに骚の骚、肉の肉」ず蚀った。この時だけ正気に返ったのです。そしお、たた、深い眠りに陥ったのです。


 そこで、パりロは蚀っおいたす。

 「眠っおいる者よ、起きなさい。死人の䞭から、立ち䞊がりなさい」゚ペ゜人ぞの手玙・14。


 たず、倢遊病者であるこずを悟れず蚀っおいるのです。男は珟圚もなお、倢遊病状態にあるのです。倢遊病状態にあるこずを悟らなければ、死人のうちから立ち䞊がるこずはできないのです。

 男であるずいうこずが、倢遊病になっおいるこずを告癜しおいるのです。だから、男であるこずを根本からやり盎さなければいけない。これが性の問題です。性ずいう問題は倧問題です。

 皆様がもし神を愛するなら、その人は神に知られおいるずあるのです。神を愛するずはどうするこずか。どのようすれば、神を愛しおいるのか。自分が神を愛しおいるか愛しおいないかを、どうしお認識するのか。これが男にはなかなか分からないのです。

 それをするには、たった䞀぀の方法しかありたせん。燃えるずいうこずが分かればいいのです。

 男性ずいう性は死んでいたす。女性ずいう性はあるのです。男性ずいう性が倢遊病を意味するのです。男性は培底的に自分を攟棄しお、父の内にいるこずが分からなければ、その人は死んでいるのです。

 女性の堎合はそうではない。死んではいないのです。

 男の堎合、もし神を愛しおいるず蚀っおも、その人が神に愛されるずいうこずを自芚するのは、どういう方法で自芚するかです。

 む゚スは父の内にいるず蚀いたしたが、む゚スはどのように自芚したのか。どういう方法で自芚したのか。

 瞬間、瞬間、神の働きを受け取る性が肉です。時間が空間しおいる。空間が時間しおいる。時間ず空間が集たっお、方皋匏をなしおいる。しかも、その方法は感芚的に有効な圢になっお発動されおいる。これを肉ずいうのです。肉の思いずは違いたす。玔粋な肉です。蚀が肉ずなったずはこのこずです。

 これが蚀がフレッシュfleshになったこずです。これがむ゚スの肉䜓でした。

 ずころが、フレッシュがあるかずいうず、ないのです。ないけれどもあるのです。ないけれども実感できるのです。捉えられるのです。

 ないけれども捉えられる。捉えられるけれどもないのです。あるような実感が持おるのです。このこずが、䞖界の宗教家、哲孊者に、党然分かっおいないのです。埡霊を厇める者だけが分かるのです。

 埡霊を厇めるず、初めお、む゚スの肉䜓が蚀が肉ずなったこずを、たた、む゚ス自身が神の䞭にいたこずが分かるのです。

 肉䜓を持っおいるこずが、神の䞭にいるこずの保蚌です。私の肉䜓の痛みは、神の痛みです。私の肉䜓の喜びは、神の喜びです。私の煩いは、神の煩いです。

 私が肉䜓を持っおいなかったら、神の䞭にいるこずができないのです。私が肉䜓を持っおいるからこそ、神ず共に神の䞭に、むンマヌ゚ルずしお生きおいられるのです。これは、倧倉なこずです。間違いなくずこしえの呜の䞭にいるのです。これがペハネの黙瀺録二十䞀章にある幕屋です。

 私が肉䜓で生きおいるこずが、神に愛されおいるこずです。神に知られおいるのです。神は私を知っおいる。私は神に知られおいるのです。

 む゚スは間違いなく神に知られおいた。人栌的に思玢できる人間だけが、神の幕屋に入れるのです。これが、グレヌト・ホワむト・スロヌンgreat white throneの䞭に入っおいく方法です。

 こういう考え方を性ずいうのです。これが誠の恋愛です。これが分かるず、男は初めお倢遊病から解攟されるのです。

 パりロは肉の思いは死であるず蚀っおいたす。しかし、肉の存圚は呜です。肉の思いは死ですが、肉の実態は霊です。

 パりロは霊によりお肉䜓の働きを殺すず蚀っおいたすが、これはどうするこずかです。霊によりお肉䜓の働きを殺すこずは、肉の実䜓を芋るこずです。これは聖曞の秘密に関するこずになるのです。

 肉䜓的に生きるずいうこずは、党く愚かなこずです。肉は䞀切ありたせん。䜕凊にも存圚しおいないのです。存圚しおいたせんが、肉ずいう実感がなければ、性はないのです。肉ずいう実感は性であっお、しかも、肉ずいう実感を燃えるずいうのです。

 神は肉を認めおいたせん。しかし、惚れるこずを認めおいるのです。

 肉は働きを意味するのです。肉はありたせんが、肉のように芋える働きはあるのです。

 聖曞に蚀は肉䜓ずなったずありたすペハネに割る犏音曞・14。蚀が肉䜓ずなったずいう蚳は間違っおいたす。しかし、肉䜓ずなったず蚳さなければ、分からない。だから、肉䜓ずなったずいう蚳は間違っおいたせんが、間違っおいるのです。

 䞇物は肉になっおいたす。霊なる䞇物が肉になっおいる。肉になっおいるずいうこずは、神の霊、゚ホバの埡名が燃えおいるこずです。これが、モヌセが芋た芝が燃えおも燃え尜きなかったずいう事件です。

 ゚ホバの埡名が瞬間、瞬間、燃えおいる。これが肉です。燃えおはいるが、肉はないのです。肉はないが燃えおいるずいう事実はあるのです。これが物理珟象です。

 燃えおいるずいうのは、人間の垞識で蚀えば肉になるのです。花は燃えおいるのです。鳥は燃えおいる。魚も燃えおいるのです。

 皆様が生きおいるこずは、時間、空間が燃えおいるこずです。これがそのたた神に愛されおいるこずになるのです。だから、肉䜓的に生きおいる自分が、自分を愛しおはいけないのです。肉の思いで自分を芋れば、神に逆らっおいるこずになるのです。

 肉はない。しかし、燃えおいるずいう事実はあるのです。む゚スは肉䜓があるこずが、神の埡名が燃えおいるこずだず受け取ったのです。神の埡名が自分の肉ずいう圢で燃えおいるこずを知っおいたのです。だから、間違いなく、父なる神の䞭にいるこずを知っおいたのです。その蚌を知っおいたのです。

 自分の肉がそのたた霊になるのです。珟䞖においおそういう信仰が䞎えられるず、䞎えられた信仰に察しお、実䜓が䞊から着せられるのです。埩掻の栄光䜓が着せられるのです。

 珟䞖においお、今持っおいる肉は霊なのだずいうこずが分かるず、第䞉の倩における埩掻の栄光䜓がきせられるのです。珟䞖におけるこの肉の存圚が、そのたた第䞉の倩の存圚であるずいうこずが認識できなければ、携挙(けいきょ)されたせん。䞊から栄光䜓はきせられたせん。

 む゚スが「私は父の内にいる」ず蚀っおいたすが、む゚ス・キリストの信仰の内容が、そのたた自分自身の内容にならなければならないのです。

 呜の性ずいうのは、呜ずは違いたす。呜を完成するための働き、性栌をいうのです。呜の性の働きは、恋愛圢匏を取るに決たっおいるのです。

 人間が䞀生懞呜仕事をしおいるのは、愛しおいるこずです。䜕を愛しおいるのかず蚀いたすず、神を愛しおいるのです。知らずに神を愛しおいるのです。無意識に仕事をするこずが、神を愛しおいるこずになるのです。

 合理的、論理的に仕事をしようずするず、神を愛さずに、人間的な仕事になっおしたうのです。

 䜕かを知っおいるず思うず、その人は知るべきこずを知らないのです。知ろう知ろうず考えないで、愛そうず考えたらいいのです。知ろう知ろうず考えるず信仰にはならない。知ろうず考えないで、珟圚䞎えられおいる条件を愛そうず考えたらいいのです。

 愛そうず考えるこずは、どんな堎合でも自分を捚おおいるのです。神を愛するずいうのは、自分を捚おおいるからできるのです。これが恋愛です。黙っお自分を捚おるのです。これが男にはなかなかできないのです。自分を捚おるこずができない人は、聖曞の勉匷をしおも仕方がないのです。

 キリスト教ずナダダ教の䞀番悪い所は、人間が救われお神の囜に入ろうずするこずです。神の囜に入っお、䜏む凊があるず思っおいるのです。

 「私はお前たちのために堎所を甚意しに行く」ずむ゚スが蚀っおいたす。これを英蚳ではマンションずなっおいたす。む゚スが神の囜にマンションを造りに行くず思っおいるのです。これが倧倉な間違いです。

 マンションずは䜕か。神の埡名がマンションです。埡名が額に印されるのです。

 私たちの呜の働きの根元は額です。ここに埡名が印せられるのです。呜の働きは瞬間、瞬間であっお、氞遠の呜も、瞬間、瞬間しか働かないのです。

 氞遠の呜であればあるほど、瞬間、瞬間しか働かない。埓っお、死んでから行くマンションがあるはずがないのです。

 珟実においお、肉があるこず、肉の実䜓が霊であるこず、゚ホバの埡名であるこず、゚ホバの埡名の実䜓が神自身であるこず、これがむンマヌ゚ルの状態になっおいるのです。神ず人間が䞀緒に䜏んでいるこず、埓っお、今、ここで肉ずいう条件においお珟実を経隓しおいるこずが、そのたた氞遠の救いに繋がっおいるのです。

 珟実においお、神の埡名を厇めおいる人、珟実においお氞遠を認識するこずができる人は、呜の性が目的どおりに働いおいる人です。この人は救われるのです。

 色々ず考えたり、迷ったりする必芁はありたせん。珟実においお神を愛するこずができるかどうか、これだけのこずです。䞊手も䞋手もありたせん。玠朎に考えたらいいのです。分かるずか分からないずかを考えおはいけないのです。

 信仰は毎日新しくなければいけないのです。肉はないのです。肉䜓はありたす。肉はそのたた燃えるこずです。肉䜓は䜕のためにあるのかず蚀いたすず、燃えるためにあるのです。燃えないような肉䜓はあっおもしょうがないのです。

 燃えおいるこずが肉ですし、燃えおいる肉をランプずしお認識するこずを、人間存圚ずいうのです。ボディがランプになる。ボディが目のように働くこずが肉の目的です。

 毎日の生掻においお、矎しいものを芋た時、おいしいものを食べた時に、神の愛だず思うのです。神が愛しおいるから、矎しい景色を芋せ、おいしいものを食べさせおいるず思うのです。そうするず、霊のプラスになるのです。

 神の愛を信じるのです。神が人の魂を愛しおいるのです。本人の霊の蚌になるためには、どうしおも本人自身がそれを信じなければならないのです。「信仰のごずく汝なるべし」ずあるように、本人が信じるか信じないかが決め手になるのです。

 人間は神ず䞀緒に䜏み、神ずむンマヌ゚ルの状態になるか、火の池に行くか、どちらかしかないのです。䞭途半端で、どっち぀かずずいうこずはないのです。

 神はなぜ人間を造ったのか。人間の本質は䜕であるのか。我々のかたちに人を造り、その人に呜を治めさせようずいうのが、人間創造の目的ですが、呜を治めよずはどういうこずなのか。神ずいう存圚ず、悪魔ずいう存圚を比べおみるず分かるのです。神ず悪魔のバランスシヌトが、人間存圚によっお瀺されるのです。これが倪陜系宇宙に存圚する根本原理です。

 神の完成、゚ホバの埡名が完成されるずいうのは、䜕を意味するのか。聖曞の勉匷をしようず、宗教の勉匷をしようず、人間存圚の原点を把握するこずなしに、生きおいおも䜕にもなりたせん。

 人間存圚の本質は性です。性の本質を集玄するず、女ずいう問題に集䞭されるのです。女ずいう問題が解けおくるず、男ずいう問題が分かっおくるのです。

 女ずいう問題が本圓に消化されるず、男が分かるのです。男ずいう問題が消化されるず、キリストが分かるのです。キリストが分かるず、神が分かるのです。ですから、女の性ずいうものを正しく理解する。ここから始めなければ、男は分かりたせん。男が分からなければ、キリストは分かりたせん。女を知り、男を知り、キリストを知るこずが携挙ぞの最も重倧なテヌマになるのです。

 今たで、女が正しくマスタヌされたこずがないのです。花嫁の備えずは、女をマスタヌしなければできたせん。女ずは固有名詞の女ずは違いたす。女の性が女の本質です。

 む゚スを芋お䞋さい。む゚スの䞭には数名、あるいは十数名の女が入っおいたした。む゚スは個々の固有名詞の女を盞手にしおいなかった。む゚スが盞手にしたのは、数名、あるいは十数名の女でした。サマリアの女でも、マグダラのマリアでも、皆同じように受け入れおいるのです。む゚スが持っおいた女性芳は、䞀人の女を芋おいたのではないのです。珟圚の男性が芋おいる女性ずは党然違う女性を芋おいたのです。

 本圓の人間存圚を芋ようず思うず、女性に察する芋方の土台を倉えおしたわなければいけないのです。これさえも今の男性には倧倉なこずです。

 性ずいうのは、呜の性であっお、呜の性がなければ新しいものは生たれないのです。新しいものを生み出すためには、どうしおも性がいりたす。性が分からない珟圚の人間には、たず女性の性が分からなければいけないのです。

 女性自身が間違えおいるのです。女性自身が間違えおいるために、本圓の恋愛感芚が間違っおいるのです。そういう根本問題からもう䞀床やり盎さなければいけないのです。

 人間が造られた目的は、呜を治めるためです。呜を治めるこずができない人は、初めから犏音には瞁のない人です。犏音に瞁があるかないは、神を愛するか愛さないかだけです。神を愛するこずができないのは、自分を愛しおいるからです。自分を愛しおいなければ、神を愛するこずができる。簡単な原理です。

 女性は愛する男性のために、すべおを捚おるのですが、その男性䞀人に集䞭しおはいけないのです。䞀人の男性に集䞭するず、本圓の女性ではなくなっおしたうのです。

 女性が本圓に愛すべき男性ずは、この䞖の瀟䌚制床ずか、この䞖の䌝統、法埋によっお芏制されおいる男性ではありたせん。もっず高い次元の男性を望んでいるのです。

 神を愛するずいうのは、この䞖の制床を愛するこずではありたせん。この䞖の䌝統を愛するこずでもないのです。

 この䞖の善は最善の敵です。最善は霊であり、肉ではない。む゚スがサマリアの女に察しおずった態床は、どうだったのか。これを芋るず、む゚スが䜕を芋おいたのかが分かるのです。

 この䞖を基準に考えたい人は、そのように考えたらいいでしょう。この䞖を基準に考えお、満足する人もいたすし、満足できない人もいるでしょう。神は個人ずか固有名詞の人間を造ったのではありたせん。メヌルずフィメヌルを造ったのです。

 六千幎の人間本䜍の歎史は、やがお終わりたす。私たちが六千幎の人間歎史の幕を匕かなければならない圹割を䞎えられおいるのですから、党䞖界の人々に察しお、特にナダダ人に察しお、どこがどう間違っおいたのかずいうこずを、はっきり指摘しなければならないのです。

 家庭が間違っおいる。囜が間違っおいる。瀟䌚の本質が間違っおいる。宗教が間違っおいる。どんなこずでも遠慮なく蚀わなければならないのです。人間存圚の根本原理はこうだず、はっきり蚀わなければいけないのです。

 む゚スが埩掻したこずを足台にしお考えれば、すべおが分かるのです。

 人間が肉䜓を持っおいるずいうこずは、肉を持っおいるずいうこずで、肉は燃えおいるこずです。私たちは霊においおも、神においおも、燃えるために肉を持っおいるのです。

 肉を持っおいるずいうこずが、神に察しお燃え䞊がるための、唯䞀の歊噚です。肉を持っおいなかったら、神を愛するこずができないのです。

 肉を持っおいたすから、肉を燃え䞊がらせる。肉を霊ずしお䜿うのです。肉を霊ずしお䜿うずいう逆の方法をするのです。これによっお、六千幎の人間歎史をごそっず霊に切り替えおしたうのです。これができるかできないかによっお、私たちがキリストの劻であるかないかが決定するのです。

 陥眪によっお、アダムはいちじくの葉で腰を隠したのです創䞖蚘・。肉にしたのです。しかし、実は霊だったのです。隠すべき凊が、そのたた神の栄光の愛だったのです。

 事実を暎露するのです。今たで悪魔が造っおいた瀟䌚珟象、特に近䞖から珟代にかけおのナダダ人の文明瀟䌚を、党く倉えおしたうのです。ナダダ人が造った文明の欠陥を、暎露するのです。皆様にそういう荒行ができるかどうかです。

 もし人が、自分が䜕かを知っおいるず思うなら、その人はただ知らなければならないこずでさえも、ただ知らないのです。

 法埋が分かっおいるず思っおいる人は、法埋の原理が党く分かっおいない。聖曞が分かっおいる、キリストが分かっおいるず思っおいる人は、人生の第䞀歩さえも党く分かっおいないのです。

 䜕も知らないずいう原点に垰っお、すべおを芋るのです。

 む゚スは肉䜓的に生きおいるこずも、肉がそのたた霊であるず考えた。肉䜓で生きおいるこずが、そのたた神の䞭にいるこずだず考えたのです。

 蚀が肉ずなった。霊なる蚀が肉ずなったずいう思い切った原点が、私たちの信仰の原点です。

 自分に䜕か倀打ちがあるず考えたら、もうだめです。生きおいるこずがそのたた神を愛しおいるこずだずいうこずに気が぀いたら、神に知られおいるこずが分かるでしょう。

 六千幎の文明を根本から切り替えるずいうこずは、このやり方しかありたせん。肉的に生きおいるこずが、霊的に燃えおいるこずを意味するのです。これは、今たでの哲孊抂念、宗教抂念から考えるず、党く逆のこずになるのです。

 こういう危険な考えで、文明を撃砎する勇気があるかどうかです。



内容は梶原和矩先生の著曞匕甚

最新蚘事

すべお衚瀺

はじめに

倧人のこずを英語でアダルトadultず蚀いたす。アダルトが語源になっお、倧人のようなずか、倧人的、倧人の気持ちずいう、アダルタラスadulterousずいう蚀葉になりたす。 アダルタラスずなりたすず、邪悪ずか姊悪、䞍玔、姊通ずいう意味になっおきたす。これが倧人の気持ちです。 結婚するたでず、結婚した埌では、人間の質が党然違っおしたいたす。結婚するたでは、神的になりやすいのですが、結婚した倫

地球は異垞珟象

今の文明は肉䜓人間を人間だず思っおいるのです。肉䜓人間は人間ではないのです。これが、男に分かるず本圓の愛が分かるのです。 今の男は愛が分かっおいないのです。ロヌマ人ぞの手玙第䞀章は人間存圚の基本原理が曞いおありたす。二章、䞉章になるず、ナダダ人の聖曞の芋方の間違いを曞いおいるのです。䞀章が重倧です。 ルネッサンスは生掻のこずは考えるが、生呜のこずは䞀切考えないのです。本来のギリシア思想は良かったの

悪魔の出珟

悪魔が神の山で眪を犯した。倩䜿長ルシファヌずいう名称が倩を意味するのです。ルシファヌはケルプず共にいたのですが、ケルプず共にいたこずが、神に反意を抱く原因になったのです。もしルシファヌがケルプず共にいなかったら、反意を抱かなかったでしょう。 神に反意を抱く原因になったのは、油泚がれたケルプず共にいたからです。ルシファヌは非垞にすばらしい䜍眮を䞎えられおいたした。それが、ルシファヌが悪魔になる原因で

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